🍷イタリアワインについての基礎知識③ 歴史


こんにちは!ジョルノ です!今回の「学びのアウトプット」はイタリアワインです🍷よろしくお願いします。

近世・近代・現代

中世に入るとワインについての興味深い言及が見られるようになってくる。16世紀の歴史家、地理学者であると同時にローマ教皇パウルス賛成のワイン担当者でもあったさんてランテ ランチェリオはソムリエの先駆けのような人で、モンテプルチャーノのワインを褒める言葉などを残している。16世紀末の医者、哲学者で作家であったアンドレアバッチはワインの薬用を示した著作をしたためている。17世紀末に医者、自然学者で詩人でもあったフランチェスコレーディの詩集「トスカーナのバッカス」には、ワインについての言及が多くある。これらの著作はワインについての関心が高まっていることを伝えるものではあるが、イタリアは分裂していて、外国の支配下に入っている地方もあり、ワイン生産が一気に発展するまでには至らなかった。
17世紀半ばにはガラスの瓶の大量生産が可能になり、ワインを熟成させる可能性が高まると同時に品質の向上も見られた。

1716年にトスカーナ大公コジモ3世がキアンティ、ポミーノ、カルミニャーノ、バルダルノ ディ ソプラの生産地の線引きを行ったが、これは原産地呼称制度の最初の例で、これらの産地のワインがこの時代にすでに高く評価されていたことがわかる。

1773年にシチリア島に来たイギリス人、ジョンウッドハウスが、ポルトガルのマデイラ、オポルト、スペインのヘレスデラフロンテーラで試みられていた保存に耐えるアルコール強化ワインを、マルサーラで生産して大成功を収めた。特にイギリス海軍の軍艦に積み込まれ、ネルソン総督もマルサーラで勝利の乾杯をしたと伝えられている。イタリア統一の英雄ガリバルディにも愛されたとされ、国際的成功を収める。
まさにそのガリバルディの功績もあり、いくつもの国家に分かれていたイタリアは、サヴォイヤ王家の下1860一年に統一を遂げ、近代国家イタリア王国が誕生する。その前後にイタリアワイン会にも品質向上への動きが出てくる。

まず19世紀半ば、後にイタリア王国初代首相となるカミッロ カブール伯爵(当時はピエモンテ州のグリンツァーネ カブール村長)がフランスの醸造家ルイ オウダールを招聘し、それまでは甘口であったバローロを長期熟成辛口赤ワインとして生まれ変わらせる。それによりバローロはトリノの宮廷で人気となり、「ワインの王様、王様のワイン」と称えられる。トスカーナのキャンティー地方でベティーノ リカーゾリ男爵が、今日のキャンティワインのベースとなる品種構成、有名なフォルムラ(サンジョベーゼ70%、カナイオーロ20%、マルヴァジーア デル キャンティ10%)を定めたのも1870年前後だ。イタリア統一の功労者にしてイタリア王国2代目首相を務めたリカーゾリ男爵は政界引退後に近代的な農園経営に尽力し、キャンティワインの名声を大いに高めた。

1988年にはトスカーナ州モンタルチーノ村のグレッポ農園でフェルッチョ ビオンディ サンティにより長期熟成赤ワインのブルネーロが誕生した。また、19世紀半ばにはカルロ ガンチャがピエモンテ州でモスカートによる瓶内二次発酵スパークリングワイン作りを始め、大人気となる。続いて、スパークリングワインの分野ではピエモンテ州のジュゼッペ コントラッド、ヴェネト州のアントニオカルペネらも成功を収めた。このように19世紀末のイタリアワインは活動的で、そのレベルが高かった事は、当時ヨーロッパでよく行われていた博覧会なのでイタリアワインがしばしば上を得ていることからもよくわかる。

1863年に始まったヨーロッパのフィロキセラ禍によりフランスなどのワイン産地が壊滅的打撃を受けると、極端なワイン不足に陥った欧州は、フィロキセラ禍にまだ襲われていなかったイタリアに殺到した。多くのワイン商人がイタリアから大量のバルクワインを購入し、イタリアワイン会は好景気に沸いた。ただ、アメリカ台木によるフィロキセラ対策が発見されフランスなどのワイン生産が回復すると、にわか好景気は終焉を迎え、20世紀に入ると今度はフィロキセラがイタリアの畑を襲い始めた。第一次世界大戦に大きな犠牲を払って勝利したにもかかわらず、たいした成果を得られなかったイタリアは景気が悪化して、ぶどう栽培で十分な生活ができずに、大都市や外国に働きに出る農民が増えた。そのためにフィロキセラで壊滅的な被害を受けたイタリアの葡萄畑は見捨てられ、荒廃した。残念ながらこの時代に多くの固有品種が失われ、長年の伝統も忘れ去られてしまった。

第二次世界大戦後、イタリアは奇跡の経済成長を遂げる。この時代には低価格でそれなりにおいしいワインへの需要が急増した。イタリアはもともとぶどう栽培に恵まれた土地なので、大量生産してもそれなりの果実味を持ったちゃんと飲めるワインができてしまう。それに甘えて大量生産に走る傾向はこの時代に根付いてしまった。この頃イタリアはフランスを追い越して、世界最大のワイン生産国となる。この時代を象徴するのは、こもに巻かれたボトルのキャンティー、フルーティーでそれなりにおいしいが平凡な諏訪部、軽めの飲みやすいヴァルポリチェッラなどで、イタリアワインはピザ屋で飲む安酒と言うイメージができてしまった。シチリア、プーリアなどを中心にバルクワインの輸出も相変わらず盛んであった。1966年にDOCが誕生したが、時代を大きく変えるには至らなかった。

大きく自体が動き始めたのは、1970年代末から意欲的な生産者の一団が、従来の「安くてそれなりにおいしいワイン」と言う範疇から抜け出して、世界に通用する高品質ワインを生産しようとし始めてからである。アンテノーリ、ガイアなどが自発的に進めたイタリアワインの急速な近代化は、後にイタリアワイン ルネサンスと呼ばれる動きとなっていく。具体的には畑での密植、摘房、低収穫量、フランスの最先端の栽培方法、近代的醸造技術の導入、木樽熟成、外国品種の導入などで、従来の伝統の殻を破った革新的ワインが1980年代に次々とリリースされ世界の注目を集めた。スーパータスカンがもてはやされたのもこの頃である。サッシカイア、ラッパリータなどのワインが、ブラインド試飲でボルドーの著名シャトーを破ったりしたことも、世界の消費者のイタリアワインに対する考え方を変えさせた。

イタリアワイン ルネッサンスには若さ故の行き過ぎや過剰があった事は否めないが、イタリアワインのイメージを向上させたことだけは確実である。

今は急速だったイタリアワイン ルネサンスへの反動から、固有品種、伝統的栽培、醸造の見直しが盛んに行われている。試行錯誤の中から本当にそれぞれの土地に適した、そこでしか生まれないワインが作られることが期待されている。

参考文献  株式会社ワイン王国発行
宮嶋勲監修 「イタリアンワイン」

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トラットリア バール ジョルノ【イタリア食堂 ジョルノ~Trattoria Bar Giorno~Dal 2010.】
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